人間って、なに考えても自由な筈なんだけれど
実際は、おそろしく限定した範囲内でしかものごと考えません。
大人になるに従って、自由度が失われる気がします。
ボキャブラリーが増えていくのだから、より自由に考えを駆使できてもいいものが
そんなことはないようで。
山仕事をするために山に入るとき、始めは道なき道を上っていきます。
でも、目的の木を切り始め、上ったり下ったりをくり返しているうちに
いつの間にか道ができます。そのうち、その道を外れる事なく上り下りをするようになります。
それと同じような事なのかもしれません。
仕事や、通勤など、毎日の繰り返しのなかで、脳のなかにも道ができるのでしょう。
そこを行ったり来たりしていれば済むのだから、それ以外の事はあまり考えなくなります。
それで効率的ならそれでいいのですが、新しい事にチャレンジしたりする場合、このことが障害になるかもしれません。
などなどと、眠れぬ夜に考えていた。(文体変えたくなりました)
全く関係のない事を考えてみる。たとえば「マンゴー食べたい」とか。
でも、これは意志を伴わないものなので、考えというよりは、文字の羅列なのだ。
ほんとにマンゴー食べたければ、実際に買いに行って皮むいて食べるだろう。マンゴー食べたいという気持ち:意志が実際にマンゴー食べたいという言葉となって浮上し、行動に及ぶわけだ。言葉だけではそうはいかない。
この意志と呼ばれるものの力はなかなかのものかもしれない。
実際人間の深くにあって、表に出ようと日々人間に働きかけているのだ。
表に言葉となって、いまだに浮上してこない意志もあるに違いない。
それはきっと「マンゴー食べたい」という意志よりも重要なものなのかもしれない。
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